東京公演11月13日(夜)と、大阪公演11月27日(昼・立ち見)。
あとはニコ生で見ました。
感想というよりも、前回(【ヘタリアミュージカル】史実・原作 元ネタ系まとめ)と同じく、
元ネタまとめ系です。
ついでに大航海時代にはいなかった国がその頃何をしていたのかっていうのも、
自分が調べたかったので調べました。
基本、自分の中で辻褄が合うようにポジティブ解釈していくのが好きなので、
解釈違いは多々あるかもしれません。
詳しいことは歴史の教科書を読もう!
前回のSingin' in the Worldは「ヘタミュ1」、The Great Worldは「ヘタミュ2」と表記します。
ヘタミュ1が割りと世界史をなぞるものだったのに対して、
ヘタミュ2はそこまで史実をなぞる感じではありませんでした。
(良い悪いの話ではない)
というか、描いている期間がヘタミュ2は長すぎるので、要所要所ピックアップという感じ。
それこそ原作ヘタリアみたいに。
ヘタミュ1が大河ドラマだとしたら、ヘタミュ2はワチャワチャコメディ+シリアスっていう感じだった。
あとはニコ生で見ました。
感想というよりも、前回(【ヘタリアミュージカル】史実・原作 元ネタ系まとめ)と同じく、
元ネタまとめ系です。
ついでに大航海時代にはいなかった国がその頃何をしていたのかっていうのも、
自分が調べたかったので調べました。
基本、自分の中で辻褄が合うようにポジティブ解釈していくのが好きなので、
解釈違いは多々あるかもしれません。
詳しいことは歴史の教科書を読もう!
前回のSingin' in the Worldは「ヘタミュ1」、The Great Worldは「ヘタミュ2」と表記します。
ヘタミュ1が割りと世界史をなぞるものだったのに対して、
ヘタミュ2はそこまで史実をなぞる感じではありませんでした。
(良い悪いの話ではない)
というか、描いている期間がヘタミュ2は長すぎるので、要所要所ピックアップという感じ。
それこそ原作ヘタリアみたいに。
ヘタミュ1が大河ドラマだとしたら、ヘタミュ2はワチャワチャコメディ+シリアスっていう感じだった。
■みんなが海へ飛び込む。
有名なエスニックジョーク。
ただしエスニックジョークは民族文化への風刺という性質上、
ブラックジョーク(ひいては差別)にもなるので注意。
海へ飛び込むネタは。
船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるための声のかけかた。
アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ロシア人「海に落ちたウォッカの瓶はあなたのものです」
イタリア人「美女たちも泳いでいますよ」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
イングランド人「イングランドが優勝しました」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
中国人「金塊が沈んでいるそうですよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
(by wikipedia)
今回出てきた国だけピックアップ。
スペインは載ってない。
ちなみに日本はちゃんと古式の日本泳法、いわゆる「のし」と言われる泳ぎをしていた。
「片抜手一重伸し」、「横泳ぎ」とも言う。
片手は伸ばしたまま、もう片手でクロールしつつ、顔が横向きで泳ぐやつ。
■胡椒を発見→大航海時代へ。
この辺りがヘタミュ1と違う感じで、別にリアルに海に浮いていた胡椒を発見して齧ってみた訳じゃない。
香辛料を求めて、陸路ではなく海路を行くことから始まった大航海。
あくまで例え、みたいな感じですよね。
いつもの軍服(WW2)のまま歌い語るし、
この時代に西洋の事情を知らない日本も大航海時代の話に加わっているし、
さらっとロシアもいるので、いわゆる「いつものメイン8人+α(今回は親分)」でわちゃわちゃやる感じ。
この時○○国は関係ないじゃん?そんなことはいいんだよ!的な空気です。全体的に。
ちなみに、大航海時代と言っても長いのですが、
今回の始まりは香辛料かつ、ポルトガルとスペインの半分!から始まるので、
1488年に喜望峰にたどり着いたのがスタートかな、と。
1498年ヴァスコ・ダ・ガマが初めて喜望峰ルートから、
インド→ヨーロッパに香辛料を持ち帰ったところもありなんですが、アメリカ到着とかぶるんですよね。
(別に被ってもいいんだけど)
[この頃のロシア]
キプチャク・ハン国とわちゃわちゃしていた(タタールのくびき)。
まだ「ロシア」と呼ばれる前のモスクワ大公国こと。
[この頃の日本]
日本は南北朝時代の後南朝くらい。
織田信長が生まれたのが1534年というとわかりやすい。
もうちょっと後に種子島に、てつはうがやってきた訳ですね。
■羅針盤
3世紀頃から、中国では磁力を持った針を木片に埋め込んだ「指南魚」が使われていた。
早いね。
基本は水の上に浮かべて使うものです。
魚の形をしていて、口が南を向くので「指南魚」。
中国はこの頃は明。
南宋時代の1127年に海路による東西交易をしていますが、
「自国内になんでもあるある」と言っていたもうとっくにやった大航海は、明時代の鄭和です。
いわば中国のヴァスコ・ダ・ガマ。キリンとか自国に持ち帰ってる(原作には描写あり)。
というかwikipediaに
「鄭和の大航海では南洋に派遣して、諸国に朝貢を求めた。
この時の船が近年の研究によって長さ170m余、幅50m余という巨艦で、
その約70年後の大航海時代の船の5倍から10倍近い船であったことが分かっている。」
ってマジかよ。中国さんパネエ。
■アメリカ大陸
舞台的な関係で、原作とは割りと違ったメリカとヨーロッパの出会い。
イタリア人(正確にはこの頃イタリアという国というよりも、ジェノバというコムーネ)の、
クリストファー・コロンブスが、ポルトガルに「援助してー」と言いますが、
断られたので、スペインに頼み、「ええよー」と言われたので、旅立ちます。
が、別にアメリカに行きたかった訳ではなく、
喜望峰ルートではなく、西向きにインドに行きたかっただけなんですよね!彼!
(喜望峰ルートはすでにヴァスコ・ダ・ガマが行っているから)
1492年に帰還。
赤ちゃんメリカ(通称こめりおじさん)が、「名前はヒーローに関係している!」と言っていたのが、
黒いローブで出てきたアメリゴ・ヴェスプッチ。フィレンツェの人。
43歳にして初航海。冒険家ではなく地理学者。
スペイン国王の西インド探検航海企画に参加要請を受けての航海。
1501-1052年の第三回航海で南緯50度まで南下した結果、
アジア最南端(北緯1度)やアフリカ最南端(南緯34度)より南にあるので、新大陸だ、と気づいたらしい。
だから「いままでインドの一部だ」と言われていたアメリカが、
ここで初めて「インドではない別のものだ」と認められたから、アメリカにとってはヒーローなんだと思う。
■トマト
ヘタミュ2ではアメリカがスペインとイタリアに渡しているが、
1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテス(スペイン人)が、
その種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。
トマトは南アメリカのアンデス山脈高原地帯が原産なので、
アメリカではなく、メキシコなんだけど、多分「新大陸」というくくりなんだろう、あのアメリカベイビーは。
トマティーナが実際に始まったのは1940年代半ば。
■イギリスが海賊の血を引いている
どれを指しているのかイマイチ不明。
1016年、当時のアングロサクソン人の王が追い出され、
デーン人(いわゆる北欧ヴァイキング)の征服王朝になった時代がある。
が、その後再びアングロサクソンによる王朝は復活。
■100年レース
百年戦争。
フランス王国の王位継承を巡っての戦い。
ヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦い。
現在のフランスとイギリスの国境線を決定した。
1337年フランスへの挑戦状送付から、1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間。
簡単に言うと、イギリス王が「うちにもフランス王位継承権あるじゃん」って言い出して、戦争開始。
なんやかんや休戦やらなんやかんやあって、
一瞬ヘンリー6世がイギリスとフランスの両王になり「イングランド・フランス二重王国」ができたりしたが、
あのジャンヌ・ダルクの支援もありオルレアンを取り戻したり、シャルル7世がフランス王位を戴冠したりした。
(ジャンヌ・ダルク火刑は、1431年5月30日)
ロアール川:フランスの中央部を流れる。オルレアンの真ん中にも流れている。
モンマルトル:パリで一番高い丘
■イギリスがフランスの血を引いてる
ノルマン・コンクエスト。
まだイギリスとかフランスとか、「国」としてよりも「家」としてのまとまりの方が大きかった頃に、
フランス北西部のノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド征服して、イングランド王になった。
それまでの支配者はアングロサクソン人。
これ以降がノルマン人。
■スペインとイタリアのトマトの契り
親分とイタちゃんが手を取り合って踊るんですが、原作ではロマーノの位置。
ヘタミュ設定的に「弟=植民地」なので、ヘタリア内で兄弟キャラは出せない。
なので、ロマーノの役割は全てイタリアが、プロイセンの役割は全てドイツが請け負っています。
いや、まあ役者人数の問題もあるし、歴史(脚本)的にややこしくなるのもあるよね。
原作は原作、舞台は舞台。アレンジは必要。けども、ちょっと寂しくもあり。
■アルマダ海戦
1588年。
歌にも出てきたエリザベス1世が、私掠船(簡単に言うと海賊)を使ってスペインをツンツンしてた。
主に植民地からスペイン本国への荷物の輸送を途中で奪う。
(私掠船=戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可のある船)
1583年、サンタ・クルス侯アルバロ・デ・バサン(レパントの海戦の英雄)が艦隊計画を発案。
1588年2月9日、艦隊司令官だったサンタ・クルス侯が急逝。
代わりにメディナ=シドニア公(温厚な人物で優れた行政官でもあったが、海戦の経験は皆無)が司令官に。
(だから劇中で「船酔中」ということになったんだと思う)
「北方の風」については不明。そういうの戦いではなかったような…。
スペインの艦船は地中海での戦闘がメインで大きかった、イギリスの艦船は小さくて小回りの効く船だった。
一つ言わせてもらうけど、「無敵艦隊」って呼んだのはイギリスであって、
スペイン自身は「最高の祝福を受けた大いなる艦隊」って言ってたんだからな!?
[この頃のロシア]
やっと「ロシア」になりました。みんな大好き、ロマノフ王朝です。
ヘタリアではロシアはポーランド分割大好き☆になってますが、
1610年にポーランド軍にモスクワを占領されたり、
ノヴゴロドをスウェーデンに占拠されたりしています。
[この頃の中国]
明が滅亡寸前。
[この頃の日本]
安土桃山時代。
秀吉が豊臣秀吉を名乗ったのが大体この辺。
■フレンチ・インディアン戦争
フランスとスペインが手を組もう!って歌っていたあたり、
フランスとスペインも、それぞれアメリカに植民地を持っています。
その辺のニュアンスかと。
英「俺はお前が守る。誰にも渡さない。お前の土地も野菜も資源も、時間もな」
仏・西「アメリカ騙してるのはお前の方だ!」
英「タッグマッチだ!」
ロシアは歌のお兄さんなので、歴史的にこの戦争に関わった訳ではない。
イギリスの勝利が1763年。
[この頃のロシア]
フレンチ・インディアン戦争=七年戦争みたいなものなので(暴論)、みんな大好きペチコート同盟の時期です。
女帝エリザヴェータ。
ただエリザヴェータは1761年に死去しているので、
フレンチ・インディアン戦争の終結時には、彼女の甥のピョートル3世(フリッツ親父の大ファン)…と見せかけて、
彼も2年で廃位されており、ピョートル3世の皇后エカチェリーナ2世の時代です。
ロシア初の女帝のエカチェリーナ1世の時もそうなんだけど、
ロシアの皇后を女帝にする感覚がイマイチ分からない…。
1世はリヴォニア(現在のエストニアとラトビアの境目辺り)の農民出身だし、
2世はプロイセン軍少将の娘なんだ…。
ロシアはあんまり家系は気にしないのか?
まあポーランドを割るのが趣味(ヘタリア的言い回し)なのはこの2世だから、優秀な人なんだけども。
[この頃の中国]
清・ジュンガル戦争後に、現在の中国領土を全て手に入れていた清王朝の全盛期。
[この頃の日本]
江戸に入って鎖国体制です。
1623年にイギリス、業績不振のため商館を閉鎖。
1624年にスペインとの国交を断絶、来航を禁止。
1673年以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える。
当時は第10代将軍、徳川家治(1760年-1786年在位)。
田沼意次の時代。
■第二次産業革命
蒸気機関の発達。大量生産の時代。
「あんたは」「かぞくのてきに」「世界の工場だ」
って言ってるように聞こえるんだけど、
家内制手工業と工場制手工業のことでいいんだろうか。
持つものと持たざるもの。
■アメリカ独立戦争&独立
ヘタミュでは「紅茶税や印紙税でもうたくさんだ!俺は一人でもやっていける!」って言う感じではない。
フランスとスペインがまたアメリカを唆しに来る。
「アメリカに会うのにお金がかかる。
アメリカはそれを案じてお金を渡す。
それをイギリスが持っていく。
それが美しいコンビネーションと言えるのかな?」
ドイツ「筋トレだ!」
原作ヘタリアでのプロイセン式訓練(キタユメ、上から2/3辺り)。
実際アメリカ独立戦争には、ドイツ人(ドイツという国はまだいないので地域的な話)傭兵が結構いた。
紅茶の雨=ボストン茶会事件(ティーパーティ)
イギリス本国議会の植民地政策に怒ったアメリカ民が停泊中の貨物輸送船に侵入し、
イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件。
「俺は紅茶はもう飲まない!」は、茶法(に反対する一連の運動で、
愛飲していた紅茶を飲まずにコーヒーを飲むようになった辺りの話。
(茶法=アメリカ植民地への茶の直送と独占専売権を、東インド会社に与えた法律)
アメリカとイギリスの後ろでスペインとフランスがまた唆しているが、
実際独立戦争時に、フランス王国、スペイン帝国、ネーデルラント連邦共和国はアメリカ側についた。
1775年独立戦争。
1776年7月4日アメリカ独立宣言。
この辺で気づいたんですが、ヘタミュ設定では「弟=植民地」なんですが、
ヘタミュ2ではただの「植民地という言葉を使わないための代替用語」ではなくて、
本当に兄弟感を出してるんですよね。
「弟」の描き方が変わったな、と。それは日本と中国の関係でもそうなんですが。(後述)
「イギリスは失墜することとなる」とドイツが言っていますが、
アメリカ独立宣言でのイギリス敗北により、
フランスとイギリスの艦隊の衝突でイギリスに負けが続いたとかその辺もあるかも。
[この頃のロシア]
ポーランドを分割しまくってた頃。
あとオスマン帝国と露土戦争をしている。
[この頃の中国]
イギリスが茶貿易を推進してきた頃。
アヘンまだダヨー。
アメリカも独立後に米清貿易を開始しています。
アヘンまだだけど、銀からアヘンに移行したのはどれくらいなんだろうか。
この後イギリスがふらついてたのは、アヘンの比喩なんだろうか。
■フランスの腹痛
フランス革命、1787年。
ナポレオン・トルネード。
[この時代のロシア]
まだエカチェリーナの時代。
[この時代の日本]
徳川将軍が第11代徳川家斉(1787年-1837年在位)になったくらい。
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」の松平定信の時代。
【この辺からミュの歴史がふわっとし始める】
■茶葉をよこせ
酔っ払ったのはロシアのウォッカだと思うんだけど、
中国のところにわざわざ言ったのはやっぱり阿片かなぁとも思いつつ、
でも三角貿易で阿片を売られていたのは中国側なんだよなぁ。
一応ロンドンにも阿片窟はあったけど。
なので、あまり穿って見すぎないで、
日本と中国の関係を書きたかったのの布石なだけかもしれない。
■コタツからアメリカ
黒船来航。1853年。
■日本着せ替えレース
歴史的にあまり関係ないかも…とか思ってたけど、
日仏修好通商条約(1858年)。
日露修好通商条約(1858年)。
日米修好通商条約(1858年)。
いわゆる安政五カ国条約(アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス)だこれ…。
着せ替え=不平等条約。
ちなみにドイツ(プロイセン)は、1861年に日普修好通商条約(同じく不平等条約)。
[この頃のイギリス]
>>ヴィクトリア朝<< (1837年-1901年)
イギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達した、
イギリス帝国の絶頂期であるとみなされている(by wikipedia)。
第一回万博もロンドンで1851年ですね。
■文明開化からのアメリカ登場
実はここで初めてテキサス(眼鏡)をかけているが、
南北戦争終了(1865年)と王政復古の大号令(1867年)の時期を考えると、
無関係でもないかもしれない。
深読みしすぎだと我ながら思わなくもない。
テキサスは1845年にアメリカ合衆国28番目の州として併合、
1861年初期にアメリカから脱退、南北戦争の間はアメリカ連合国に加盟、1865年にアメリカ復帰。
■第1回オリンピック・パリ万国博覧会
第1回オリンピック:1896年
パリ万国博覧会:1889年
なので、どっちだよって感じですが、とりあえず1890年くらいの話。
ヘタリア歴史クラスタ混乱したよね!?混乱したよね!?
初めて見た時に頭の中のノートめちゃくちゃめくってた。
露仏同盟が1894年。
だけど第一回オリンピックで何かしたっけ???
そんな事してたら歴史に残ってるし覚えてるよね???ってなった。
ちなみに第一回オリンピックに参加した国は、
・ギリシャ(開催国)
・アメリカ
・ドイツ
・フランス
・イギリス
・ハンガリー
・オーストリア
・オーストラリア
・デンマーク
・スイス
・混合チーム(国家単位ではなく個人名義による自由出場だったため)
オーストラリアだけ海を遥か越えてやってきてるのと、劇中で参加してるのは4ヶ国ですけど、
具体的に何っていうものではないからシカタナイネ!
パリ万博は第三回目の1855年。
クリミア戦争が始まっている中、ナポレオンの力を示すために行われたとか。
参加国が調べてもパッと出てこない。34ヶ国参加。
日本が初めて参加した万博は1867年の第二回パリ万博(全体だと五回目)。
この辺、ヘタミュ1と時代が既に被ってます。
この万博の1890年より前で、ヘタミュ1でやってた(と思う)できごと。
・南京条約(1842年。アヘン戦争の講和条約)。
・日米修好通商条約(1858年)で鎖国終了。
・イタリアが統一(1861年3月)。
・アラスカは1867年にアメリカに売却済み。
・樺太・千島交換条約(1875年)で樺太がロシア領に。
・「ベルリン会議」(1884年11月)。
・ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアによる秘密軍事同盟。三国同盟 (1882年)。
・イタリアがウッチャリ条約(1882年)でエチオピアからエリトリア(イタリア命名)を割譲。
・イタリアの第一次エチオピア戦争(1889年-1896年)。
この後、日英同盟(1902年)。
史実の流れ的にはこの後、第一次世界大戦になだれこむ。
「このままだとドイツがヒーローにやられる悪者になっちゃうよ!」
ヘタミュ1の1/4くらい進んだところの話ですね。
この後はちょっとした感想なので、感想に興味がない人はブラウザバック。
確か日本役の植田さんのブログだったと思いますが、
「戦争ではなく競争」って書いてあって、
歌詞にも「争いじゃなくて競い合い」ってあって。
今回のヘタミュも内容としては諸戦争あるんですよね。
でもほぼ「レース」と表現してた。
ドイツさんのナレーションで「アルマダの海戦」などの言葉は言っていたけど。
ヘタミュ1がヘタリアにしてはシリアスに「戦争」をやって、
当然ではあるんだけど国が国のエゴで行動する(例:ブロック経済)殺伐さを描いていたと思うんです。
だから今回は「ほのぼのヘタリア」にしたのかな、と。
「ほのぼの」というか「国」としての冷徹さよりも、
「キャラクター化されたが故の人らしさ、もしくは人格」を前に打ち出してきた版かな、と。
原作ヘタリアのアメリカが独立した理由は、
イギリスの束縛に耐えかねて(誤解のある表現)、
史実は紅茶税や印紙税などの税金は取るのに、
本国に議員を派遣する権利などがなかったからだったりとかするんですけど、
ヘタミュでは「イギリスに迷惑をかけないためにも強い国にならなければいけない」から。
(ただしこのあたり、仏と西に誑かされてる感ある)
というか、原作ヘタリアに、明確にアメリカがイギリスから独立する理由って描写されてたっけ…。
(スーツとかの押しつけは嫌がっていた)
「もう子供でもないし、君の弟でもない」の解釈次第かもしれないけど。
個人的には、「迷惑かけてるから」は、仏と西に誑かされた結果の思い込みかなーという解釈をしてました。
都合の良いところしか見えていない、まだ大人でもない、そろそろ子供とも言えない微妙な年齢。
「お前の資源も土地も心も(だっけ?)ぜーんぶ俺のものだからな!」
「束縛彼氏みたいだ」
っていうので、表現はされてたと思うんです。
でもそこに向き合いたくなくて、
「迷惑をかけないため」っていう言い訳に逃げたのが、ミュメリカなのかなーって。
自国を(まだ国になってないけど)を守るために動いて欲しいっていう気持ちも分かるんですけど、
今回のテーマでそれをしてしまうと、また殺伐してしまうなって。
あと国益を優先しないで眉毛の事を心配したのって、まだあの時のメリカは
「"国"じゃなくて、眉毛の"地域の一つ"に過ぎなかったからじゃないかなぁ」と都合よく解釈している。
原作ヘタリアで他の国は宗主国の家に住まされてるのに、
メリカは眉毛の家に住んでなかったのも、宗主国-植民地というよりも一地域だったから…とか。
イギリスがヴィクトリア朝の全盛期なのに、あんなにぐったりげんなり死に体になってるのは、
その部分だけ映しているからかなぁと。
その話だけされてる時がああなのかなぁって。
そういえばヘタミュ1で「植民地」という言葉を完全に「弟」と置き換えたのに、
中国に「日本は私の弟ある!」って言わせたの、ある意味凄い決断だと思った。
原作ヘタリアでは言ってるけども、原作ヘタリアとヘタミュでの「弟」の意味を変えたから。
ヘタミュ1で太平洋戦争の描写をあんなにマイルドに避けたのに…!
でも原作と同じく「中国さんは兄ではありません」って否定はしていた。
あの二人はあんなかなー、どうかなー、とか考えながら観ていたけども、
文化的な意味でお世話になったのは事実(漢字、諸技術、仏教などなど)なんだよな。
多分、遣唐使の頃に、中国(唐)は日本に対して
「朝貢(貢ぎ物)は日本は遠方だから毎年しなくても良い」って言っていて、日本を「弟」扱いしているけども、
日本は皇帝に対して「天皇」を名乗って対等であるとしているあたりのすれ違い(?)からの、
「弟」「兄ではありません」だと思ってる。
白村江の戦いで負けてからの、遣唐使での朝貢なので、まあ、確かに状態としては。
ただ君臣体制の 「宗主国」と「朝貢国」の契約はしていない。
史実で考えるとその辺かなーと思いました。
宗主国・植民地国に対する、 宗主国・朝貢国っていう。
この辺あんまり調べてなかったので、今回調べて、こういうことか!と分かったの面白かった。
ヘタリア、ついつい欧州に目が向きがち。
そういえばふと思ったけど、ヘタミュ2の世界線がそのままヘタミュ1に繋がるとなると、
「兄弟じゃなくても育ててもらったのに、それを忘れるんじゃねえよ!!」って言い放って、
酔っ払って去っていったイギリスに日本は、
ロックだ!同盟だ!「Once upon a time, wow!!」とか言われてたのか…と考えると、別の世界線な気もする。
Fate/zeroみたいな感じで。
原作ヘタリアは原作ヘタリア、ヘタミュはヘタミュで、別解釈というか、二次創作というか、
そういう感じで見るのが楽しいな、と個人的には思っています。
ヘタリア自体、軍事板の軍事ネタから始まったのであって、歴史に忠実な歴史物ではないし。
砂漠でパスタは茹でていない。でもヘタリアは茹でてて良いと思う。
パァスターーー。
有名なエスニックジョーク。
ただしエスニックジョークは民族文化への風刺という性質上、
ブラックジョーク(ひいては差別)にもなるので注意。
海へ飛び込むネタは。
船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるための声のかけかた。
アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ロシア人「海に落ちたウォッカの瓶はあなたのものです」
イタリア人「美女たちも泳いでいますよ」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
イングランド人「イングランドが優勝しました」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
中国人「金塊が沈んでいるそうですよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
(by wikipedia)
今回出てきた国だけピックアップ。
スペインは載ってない。
ちなみに日本はちゃんと古式の日本泳法、いわゆる「のし」と言われる泳ぎをしていた。
「片抜手一重伸し」、「横泳ぎ」とも言う。
片手は伸ばしたまま、もう片手でクロールしつつ、顔が横向きで泳ぐやつ。
■胡椒を発見→大航海時代へ。
この辺りがヘタミュ1と違う感じで、別にリアルに海に浮いていた胡椒を発見して齧ってみた訳じゃない。
香辛料を求めて、陸路ではなく海路を行くことから始まった大航海。
あくまで例え、みたいな感じですよね。
いつもの軍服(WW2)のまま歌い語るし、
この時代に西洋の事情を知らない日本も大航海時代の話に加わっているし、
さらっとロシアもいるので、いわゆる「いつものメイン8人+α(今回は親分)」でわちゃわちゃやる感じ。
この時○○国は関係ないじゃん?そんなことはいいんだよ!的な空気です。全体的に。
ちなみに、大航海時代と言っても長いのですが、
今回の始まりは香辛料かつ、ポルトガルとスペインの半分!から始まるので、
1488年に喜望峰にたどり着いたのがスタートかな、と。
1498年ヴァスコ・ダ・ガマが初めて喜望峰ルートから、
インド→ヨーロッパに香辛料を持ち帰ったところもありなんですが、アメリカ到着とかぶるんですよね。
(別に被ってもいいんだけど)
[この頃のロシア]
キプチャク・ハン国とわちゃわちゃしていた(タタールのくびき)。
まだ「ロシア」と呼ばれる前のモスクワ大公国こと。
[この頃の日本]
日本は南北朝時代の後南朝くらい。
織田信長が生まれたのが1534年というとわかりやすい。
もうちょっと後に種子島に、てつはうがやってきた訳ですね。
■羅針盤
3世紀頃から、中国では磁力を持った針を木片に埋め込んだ「指南魚」が使われていた。
早いね。
基本は水の上に浮かべて使うものです。
魚の形をしていて、口が南を向くので「指南魚」。
中国はこの頃は明。
南宋時代の1127年に海路による東西交易をしていますが、
「自国内になんでもあるある」と言っていたもうとっくにやった大航海は、明時代の鄭和です。
いわば中国のヴァスコ・ダ・ガマ。キリンとか自国に持ち帰ってる(原作には描写あり)。
というかwikipediaに
「鄭和の大航海では南洋に派遣して、諸国に朝貢を求めた。
この時の船が近年の研究によって長さ170m余、幅50m余という巨艦で、
その約70年後の大航海時代の船の5倍から10倍近い船であったことが分かっている。」
ってマジかよ。中国さんパネエ。
■アメリカ大陸
舞台的な関係で、原作とは割りと違ったメリカとヨーロッパの出会い。
イタリア人(正確にはこの頃イタリアという国というよりも、ジェノバというコムーネ)の、
クリストファー・コロンブスが、ポルトガルに「援助してー」と言いますが、
断られたので、スペインに頼み、「ええよー」と言われたので、旅立ちます。
が、別にアメリカに行きたかった訳ではなく、
喜望峰ルートではなく、西向きにインドに行きたかっただけなんですよね!彼!
(喜望峰ルートはすでにヴァスコ・ダ・ガマが行っているから)
1492年に帰還。
赤ちゃんメリカ(通称こめりおじさん)が、「名前はヒーローに関係している!」と言っていたのが、
黒いローブで出てきたアメリゴ・ヴェスプッチ。フィレンツェの人。
43歳にして初航海。冒険家ではなく地理学者。
スペイン国王の西インド探検航海企画に参加要請を受けての航海。
1501-1052年の第三回航海で南緯50度まで南下した結果、
アジア最南端(北緯1度)やアフリカ最南端(南緯34度)より南にあるので、新大陸だ、と気づいたらしい。
だから「いままでインドの一部だ」と言われていたアメリカが、
ここで初めて「インドではない別のものだ」と認められたから、アメリカにとってはヒーローなんだと思う。
■トマト
ヘタミュ2ではアメリカがスペインとイタリアに渡しているが、
1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテス(スペイン人)が、
その種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。
トマトは南アメリカのアンデス山脈高原地帯が原産なので、
アメリカではなく、メキシコなんだけど、多分「新大陸」というくくりなんだろう、あのアメリカベイビーは。
トマティーナが実際に始まったのは1940年代半ば。
■イギリスが海賊の血を引いている
どれを指しているのかイマイチ不明。
1016年、当時のアングロサクソン人の王が追い出され、
デーン人(いわゆる北欧ヴァイキング)の征服王朝になった時代がある。
が、その後再びアングロサクソンによる王朝は復活。
■100年レース
百年戦争。
フランス王国の王位継承を巡っての戦い。
ヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦い。
現在のフランスとイギリスの国境線を決定した。
1337年フランスへの挑戦状送付から、1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間。
簡単に言うと、イギリス王が「うちにもフランス王位継承権あるじゃん」って言い出して、戦争開始。
なんやかんや休戦やらなんやかんやあって、
一瞬ヘンリー6世がイギリスとフランスの両王になり「イングランド・フランス二重王国」ができたりしたが、
あのジャンヌ・ダルクの支援もありオルレアンを取り戻したり、シャルル7世がフランス王位を戴冠したりした。
(ジャンヌ・ダルク火刑は、1431年5月30日)
ロアール川:フランスの中央部を流れる。オルレアンの真ん中にも流れている。
モンマルトル:パリで一番高い丘
■イギリスがフランスの血を引いてる
ノルマン・コンクエスト。
まだイギリスとかフランスとか、「国」としてよりも「家」としてのまとまりの方が大きかった頃に、
フランス北西部のノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド征服して、イングランド王になった。
それまでの支配者はアングロサクソン人。
これ以降がノルマン人。
■スペインとイタリアのトマトの契り
親分とイタちゃんが手を取り合って踊るんですが、原作ではロマーノの位置。
ヘタミュ設定的に「弟=植民地」なので、ヘタリア内で兄弟キャラは出せない。
なので、ロマーノの役割は全てイタリアが、プロイセンの役割は全てドイツが請け負っています。
いや、まあ役者人数の問題もあるし、歴史(脚本)的にややこしくなるのもあるよね。
原作は原作、舞台は舞台。アレンジは必要。けども、ちょっと寂しくもあり。
■アルマダ海戦
1588年。
歌にも出てきたエリザベス1世が、私掠船(簡単に言うと海賊)を使ってスペインをツンツンしてた。
主に植民地からスペイン本国への荷物の輸送を途中で奪う。
(私掠船=戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可のある船)
1583年、サンタ・クルス侯アルバロ・デ・バサン(レパントの海戦の英雄)が艦隊計画を発案。
1588年2月9日、艦隊司令官だったサンタ・クルス侯が急逝。
代わりにメディナ=シドニア公(温厚な人物で優れた行政官でもあったが、海戦の経験は皆無)が司令官に。
(だから劇中で「船酔中」ということになったんだと思う)
「北方の風」については不明。そういうの戦いではなかったような…。
スペインの艦船は地中海での戦闘がメインで大きかった、イギリスの艦船は小さくて小回りの効く船だった。
一つ言わせてもらうけど、「無敵艦隊」って呼んだのはイギリスであって、
スペイン自身は「最高の祝福を受けた大いなる艦隊」って言ってたんだからな!?
[この頃のロシア]
やっと「ロシア」になりました。みんな大好き、ロマノフ王朝です。
ヘタリアではロシアはポーランド分割大好き☆になってますが、
1610年にポーランド軍にモスクワを占領されたり、
ノヴゴロドをスウェーデンに占拠されたりしています。
[この頃の中国]
明が滅亡寸前。
[この頃の日本]
安土桃山時代。
秀吉が豊臣秀吉を名乗ったのが大体この辺。
■フレンチ・インディアン戦争
フランスとスペインが手を組もう!って歌っていたあたり、
フランスとスペインも、それぞれアメリカに植民地を持っています。
その辺のニュアンスかと。
英「俺はお前が守る。誰にも渡さない。お前の土地も野菜も資源も、時間もな」
仏・西「アメリカ騙してるのはお前の方だ!」
英「タッグマッチだ!」
ロシアは歌のお兄さんなので、歴史的にこの戦争に関わった訳ではない。
イギリスの勝利が1763年。
[この頃のロシア]
フレンチ・インディアン戦争=七年戦争みたいなものなので(暴論)、みんな大好きペチコート同盟の時期です。
女帝エリザヴェータ。
ただエリザヴェータは1761年に死去しているので、
フレンチ・インディアン戦争の終結時には、彼女の甥のピョートル3世(フリッツ親父の大ファン)…と見せかけて、
彼も2年で廃位されており、ピョートル3世の皇后エカチェリーナ2世の時代です。
ロシア初の女帝のエカチェリーナ1世の時もそうなんだけど、
ロシアの皇后を女帝にする感覚がイマイチ分からない…。
1世はリヴォニア(現在のエストニアとラトビアの境目辺り)の農民出身だし、
2世はプロイセン軍少将の娘なんだ…。
ロシアはあんまり家系は気にしないのか?
まあポーランドを割るのが趣味(ヘタリア的言い回し)なのはこの2世だから、優秀な人なんだけども。
[この頃の中国]
清・ジュンガル戦争後に、現在の中国領土を全て手に入れていた清王朝の全盛期。
[この頃の日本]
江戸に入って鎖国体制です。
1623年にイギリス、業績不振のため商館を閉鎖。
1624年にスペインとの国交を断絶、来航を禁止。
1673年以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える。
当時は第10代将軍、徳川家治(1760年-1786年在位)。
田沼意次の時代。
■第二次産業革命
蒸気機関の発達。大量生産の時代。
「あんたは」「かぞくのてきに」「世界の工場だ」
って言ってるように聞こえるんだけど、
家内制手工業と工場制手工業のことでいいんだろうか。
持つものと持たざるもの。
■アメリカ独立戦争&独立
ヘタミュでは「紅茶税や印紙税でもうたくさんだ!俺は一人でもやっていける!」って言う感じではない。
フランスとスペインがまたアメリカを唆しに来る。
「アメリカに会うのにお金がかかる。
アメリカはそれを案じてお金を渡す。
それをイギリスが持っていく。
それが美しいコンビネーションと言えるのかな?」
ドイツ「筋トレだ!」
原作ヘタリアでのプロイセン式訓練(キタユメ、上から2/3辺り)。
実際アメリカ独立戦争には、ドイツ人(ドイツという国はまだいないので地域的な話)傭兵が結構いた。
紅茶の雨=ボストン茶会事件(ティーパーティ)
イギリス本国議会の植民地政策に怒ったアメリカ民が停泊中の貨物輸送船に侵入し、
イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件。
「俺は紅茶はもう飲まない!」は、茶法(に反対する一連の運動で、
愛飲していた紅茶を飲まずにコーヒーを飲むようになった辺りの話。
(茶法=アメリカ植民地への茶の直送と独占専売権を、東インド会社に与えた法律)
アメリカとイギリスの後ろでスペインとフランスがまた唆しているが、
実際独立戦争時に、フランス王国、スペイン帝国、ネーデルラント連邦共和国はアメリカ側についた。
1775年独立戦争。
1776年7月4日アメリカ独立宣言。
この辺で気づいたんですが、ヘタミュ設定では「弟=植民地」なんですが、
ヘタミュ2ではただの「植民地という言葉を使わないための代替用語」ではなくて、
本当に兄弟感を出してるんですよね。
「弟」の描き方が変わったな、と。それは日本と中国の関係でもそうなんですが。(後述)
「イギリスは失墜することとなる」とドイツが言っていますが、
アメリカ独立宣言でのイギリス敗北により、
フランスとイギリスの艦隊の衝突でイギリスに負けが続いたとかその辺もあるかも。
[この頃のロシア]
ポーランドを分割しまくってた頃。
あとオスマン帝国と露土戦争をしている。
[この頃の中国]
イギリスが茶貿易を推進してきた頃。
アヘンまだダヨー。
アメリカも独立後に米清貿易を開始しています。
アヘンまだだけど、銀からアヘンに移行したのはどれくらいなんだろうか。
この後イギリスがふらついてたのは、アヘンの比喩なんだろうか。
■フランスの腹痛
フランス革命、1787年。
ナポレオン・トルネード。
[この時代のロシア]
まだエカチェリーナの時代。
[この時代の日本]
徳川将軍が第11代徳川家斉(1787年-1837年在位)になったくらい。
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」の松平定信の時代。
【この辺からミュの歴史がふわっとし始める】
■茶葉をよこせ
酔っ払ったのはロシアのウォッカだと思うんだけど、
中国のところにわざわざ言ったのはやっぱり阿片かなぁとも思いつつ、
でも三角貿易で阿片を売られていたのは中国側なんだよなぁ。
一応ロンドンにも阿片窟はあったけど。
なので、あまり穿って見すぎないで、
日本と中国の関係を書きたかったのの布石なだけかもしれない。
■コタツからアメリカ
黒船来航。1853年。
■日本着せ替えレース
歴史的にあまり関係ないかも…とか思ってたけど、
日仏修好通商条約(1858年)。
日露修好通商条約(1858年)。
日米修好通商条約(1858年)。
いわゆる安政五カ国条約(アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス)だこれ…。
着せ替え=不平等条約。
ちなみにドイツ(プロイセン)は、1861年に日普修好通商条約(同じく不平等条約)。
[この頃のイギリス]
>>ヴィクトリア朝<< (1837年-1901年)
イギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達した、
イギリス帝国の絶頂期であるとみなされている(by wikipedia)。
第一回万博もロンドンで1851年ですね。
■文明開化からのアメリカ登場
実はここで初めてテキサス(眼鏡)をかけているが、
南北戦争終了(1865年)と王政復古の大号令(1867年)の時期を考えると、
無関係でもないかもしれない。
深読みしすぎだと我ながら思わなくもない。
テキサスは1845年にアメリカ合衆国28番目の州として併合、
1861年初期にアメリカから脱退、南北戦争の間はアメリカ連合国に加盟、1865年にアメリカ復帰。
■第1回オリンピック・パリ万国博覧会
第1回オリンピック:1896年
パリ万国博覧会:1889年
なので、どっちだよって感じですが、とりあえず1890年くらいの話。
ヘタリア歴史クラスタ混乱したよね!?混乱したよね!?
初めて見た時に頭の中のノートめちゃくちゃめくってた。
露仏同盟が1894年。
だけど第一回オリンピックで何かしたっけ???
そんな事してたら歴史に残ってるし覚えてるよね???ってなった。
ちなみに第一回オリンピックに参加した国は、
・ギリシャ(開催国)
・アメリカ
・ドイツ
・フランス
・イギリス
・ハンガリー
・オーストリア
・オーストラリア
・デンマーク
・スイス
・混合チーム(国家単位ではなく個人名義による自由出場だったため)
オーストラリアだけ海を遥か越えてやってきてるのと、劇中で参加してるのは4ヶ国ですけど、
具体的に何っていうものではないからシカタナイネ!
パリ万博は第三回目の1855年。
クリミア戦争が始まっている中、ナポレオンの力を示すために行われたとか。
参加国が調べてもパッと出てこない。34ヶ国参加。
日本が初めて参加した万博は1867年の第二回パリ万博(全体だと五回目)。
この辺、ヘタミュ1と時代が既に被ってます。
この万博の1890年より前で、ヘタミュ1でやってた(と思う)できごと。
・南京条約(1842年。アヘン戦争の講和条約)。
・日米修好通商条約(1858年)で鎖国終了。
・イタリアが統一(1861年3月)。
・アラスカは1867年にアメリカに売却済み。
・樺太・千島交換条約(1875年)で樺太がロシア領に。
・「ベルリン会議」(1884年11月)。
・ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアによる秘密軍事同盟。三国同盟 (1882年)。
・イタリアがウッチャリ条約(1882年)でエチオピアからエリトリア(イタリア命名)を割譲。
・イタリアの第一次エチオピア戦争(1889年-1896年)。
この後、日英同盟(1902年)。
史実の流れ的にはこの後、第一次世界大戦になだれこむ。
「このままだとドイツがヒーローにやられる悪者になっちゃうよ!」
ヘタミュ1の1/4くらい進んだところの話ですね。
この後はちょっとした感想なので、感想に興味がない人はブラウザバック。
確か日本役の植田さんのブログだったと思いますが、
「戦争ではなく競争」って書いてあって、
歌詞にも「争いじゃなくて競い合い」ってあって。
今回のヘタミュも内容としては諸戦争あるんですよね。
でもほぼ「レース」と表現してた。
ドイツさんのナレーションで「アルマダの海戦」などの言葉は言っていたけど。
ヘタミュ1がヘタリアにしてはシリアスに「戦争」をやって、
当然ではあるんだけど国が国のエゴで行動する(例:ブロック経済)殺伐さを描いていたと思うんです。
だから今回は「ほのぼのヘタリア」にしたのかな、と。
「ほのぼの」というか「国」としての冷徹さよりも、
「キャラクター化されたが故の人らしさ、もしくは人格」を前に打ち出してきた版かな、と。
原作ヘタリアのアメリカが独立した理由は、
イギリスの束縛に耐えかねて(誤解のある表現)、
史実は紅茶税や印紙税などの税金は取るのに、
本国に議員を派遣する権利などがなかったからだったりとかするんですけど、
ヘタミュでは「イギリスに迷惑をかけないためにも強い国にならなければいけない」から。
(ただしこのあたり、仏と西に誑かされてる感ある)
というか、原作ヘタリアに、明確にアメリカがイギリスから独立する理由って描写されてたっけ…。
(スーツとかの押しつけは嫌がっていた)
「もう子供でもないし、君の弟でもない」の解釈次第かもしれないけど。
個人的には、「迷惑かけてるから」は、仏と西に誑かされた結果の思い込みかなーという解釈をしてました。
都合の良いところしか見えていない、まだ大人でもない、そろそろ子供とも言えない微妙な年齢。
「お前の資源も土地も心も(だっけ?)ぜーんぶ俺のものだからな!」
「束縛彼氏みたいだ」
っていうので、表現はされてたと思うんです。
でもそこに向き合いたくなくて、
「迷惑をかけないため」っていう言い訳に逃げたのが、ミュメリカなのかなーって。
自国を(まだ国になってないけど)を守るために動いて欲しいっていう気持ちも分かるんですけど、
今回のテーマでそれをしてしまうと、また殺伐してしまうなって。
あと国益を優先しないで眉毛の事を心配したのって、まだあの時のメリカは
「"国"じゃなくて、眉毛の"地域の一つ"に過ぎなかったからじゃないかなぁ」と都合よく解釈している。
原作ヘタリアで他の国は宗主国の家に住まされてるのに、
メリカは眉毛の家に住んでなかったのも、宗主国-植民地というよりも一地域だったから…とか。
イギリスがヴィクトリア朝の全盛期なのに、あんなにぐったりげんなり死に体になってるのは、
その部分だけ映しているからかなぁと。
その話だけされてる時がああなのかなぁって。
そういえばヘタミュ1で「植民地」という言葉を完全に「弟」と置き換えたのに、
中国に「日本は私の弟ある!」って言わせたの、ある意味凄い決断だと思った。
原作ヘタリアでは言ってるけども、原作ヘタリアとヘタミュでの「弟」の意味を変えたから。
ヘタミュ1で太平洋戦争の描写をあんなにマイルドに避けたのに…!
でも原作と同じく「中国さんは兄ではありません」って否定はしていた。
あの二人はあんなかなー、どうかなー、とか考えながら観ていたけども、
文化的な意味でお世話になったのは事実(漢字、諸技術、仏教などなど)なんだよな。
多分、遣唐使の頃に、中国(唐)は日本に対して
「朝貢(貢ぎ物)は日本は遠方だから毎年しなくても良い」って言っていて、日本を「弟」扱いしているけども、
日本は皇帝に対して「天皇」を名乗って対等であるとしているあたりのすれ違い(?)からの、
「弟」「兄ではありません」だと思ってる。
白村江の戦いで負けてからの、遣唐使での朝貢なので、まあ、確かに状態としては。
ただ君臣体制の 「宗主国」と「朝貢国」の契約はしていない。
史実で考えるとその辺かなーと思いました。
宗主国・植民地国に対する、 宗主国・朝貢国っていう。
この辺あんまり調べてなかったので、今回調べて、こういうことか!と分かったの面白かった。
ヘタリア、ついつい欧州に目が向きがち。
そういえばふと思ったけど、ヘタミュ2の世界線がそのままヘタミュ1に繋がるとなると、
「兄弟じゃなくても育ててもらったのに、それを忘れるんじゃねえよ!!」って言い放って、
酔っ払って去っていったイギリスに日本は、
ロックだ!同盟だ!「Once upon a time, wow!!」とか言われてたのか…と考えると、別の世界線な気もする。
Fate/zeroみたいな感じで。
原作ヘタリアは原作ヘタリア、ヘタミュはヘタミュで、別解釈というか、二次創作というか、
そういう感じで見るのが楽しいな、と個人的には思っています。
ヘタリア自体、軍事板の軍事ネタから始まったのであって、歴史に忠実な歴史物ではないし。
砂漠でパスタは茹でていない。でもヘタリアは茹でてて良いと思う。
パァスターーー。